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2025.08.19

サプライチェーンの広がりと人権デューディリジェンス対応の要点

執筆担当 弁護士 三木憲明

はじめに:人権デューディリジェンスとは何か

  人権デューディリジェンス(人権DD)とは、企業が自社およびビジネス上の関係先における人権侵害のリスクを把握し、防止・軽減するための継続的なプロセスです。平たく言えば、自社の事業活動や取引先の活動によって労働環境の悪化や差別、強制労働といった人権問題が生じていないかを調査し、問題があれば対処する取り組みです。これは一部の専門家だけの関心事ではなく、企業の規模を問わず重要性が増しています。特に昨今は国際的な規制強化の動きもあり、自社だけでなくサプライチェーン全体で人権尊重を果たすことが強く求められています。

  しかし、人権DDの重要性が叫ばれる一方で、実際にこれを行う現場では多くの戸惑いや課題があります。その最大の理由の一つが、現代のサプライチェーンが非常に広範かつ複雑になっていることです。以下では、サプライチェーンが広範に及ぶ場合の人権DDの難しさと、その中核となる「影響評価の射程(対象)をどこまで考えるべきか」という問題について考察してみます。また、取引先の規模や対応能力に応じて、人権リスクへの向き合い方をどう変えるかについても論じます。

広範なサプライチェーンがもたらす実務上の難しさ

  企業が人権DDを実践しようとする際、サプライチェーンが国内外に広がり多層構造になっていると、どこまで目を配るべきか頭を悩ませることになります。サプライチェーンの範囲が広いほど、現地の状況把握や管理は難しくなります。具体的な難しさとして、以下のような点が挙げられます。

  • 取引先の多層性と求められる情報の透明性:一次下請(Tier1)だけでなく、その先の二次・三次といった下請企業まで含めると、取引先の数は膨大になります。自社から遠い層になるほど情報が届きにくく、労働環境や人権リスクの実態を把握することが困難です。すべてのサプライヤーを直接チェックするには限界があり、情報の透明性を確保すること自体が大きな課題です。
  • 地域・業種ごとのリスクの違い:グローバルなサプライチェーンでは、関係する企業の所在国や地域によって法制度や慣習が異なります。ある国では法令遵守されている労働条件でも、別の国では基準を満たさず人権侵害とみなされる場合もあります。また、業種によって典型的な人権リスク(例えば製造業における強制労働や、IT業界におけるプライバシー問題)も異なります。このように多様なリスクが存在する中で、どの問題に注力すべきか判断するのは容易ではありません。
  • 経営資源と優先順位:理想を言えばサプライチェーンの隅々まで確認して是正するのが望ましいものの、現実には人員や予算に限りがあります。リスク調査や現地訪問、是正指導には手間も費用もかかります。広範囲に及ぶサプライチェーン全体へ同時に対応することは不可能であり、限られた経営資源の中でどこに優先的に取り組むかを決めねばなりません。対応範囲を絞り込む判断には常に悩みが伴います。

  以上のように、サプライチェーンが広がることで人権DDの実務対応は格段に難しくなります。一社では全貌を把握しきれない複雑さゆえに、リスクの範囲(射程)をどう設定するかが極めて重要な戦略課題となってきます。

影響評価の射程をどこまで考えるべきか

  人権DDのプロセスでまず直面するのが、「影響評価」の対象範囲をどこまで含めるかという問題です。影響評価とは、自社の事業活動が直接・間接に関係する人権への影響を特定・評価することですが、サプライチェーンが長大な場合、末端の末端まで対象に含めるのは現実的ではありません。そこで、多くの企業はリスクの高い領域を優先して評価するアプローチを取っています。

  例えば、自社と直接取引のある一次サプライヤーについては詳細に調査し、評価対象に含めるのが一般的です。その先の二次・三次以降のサプライヤーについては、一次サプライヤーから情報や監査結果を提供してもらうなど、間接的な把握に留めるケースもあります。つまり、自社からの距離(取引関係の層の深さ)やリスクの大きさに応じて、影響評価の射程を段階的に広げるわけです。

  射程を決める際の考え方としては、以下のポイントが参考になります。

  1. 重大な人権リスクが潜む箇所を優先する:サプライチェーン上のどの地点に深刻な人権課題が起こり得るかを洗い出し、その部分を重点的に評価します。業界共通の問題(例えば衣料品業界の原材料調達における児童労働)や、過去に指摘を受けた問題がある領域は射程に入れるべき優先度が高いでしょう。
  2. 自社の影響力の強い範囲を重視する:自社が契約上または経済上の力を及ぼしやすい範囲については、積極的に評価と対処を行います。一般に取引関係が直接的であるほど影響力を行使しやすいため、一次取引先は重点範囲となります。一方で、遠い下流・上流になるほど自社の影響力は弱まりますので、その場合は後述する「間接的な働きかけ」の手段を考えることになります。
  3. 取引先の対応状況を考慮する:各取引先が既にどの程度人権課題に取り組んでいるかも判断材料です。既に認証取得や自主監査などしっかりした枠組みを持つ企業であれば、リスクが比較的低く射程を広げなくてもよい場合があります。逆に、人権への配慮が不十分な企業が混在する領域は見落としがないよう射程に含めます。

  このように、影響評価の射程は一律ではなく、取引先の属性やリスク度合いによって柔軟に設定する必要があります。重要なのは、「自社がどの範囲について責任を持ち、何をどこまで管理すれば人権尊重を実現できるか」という線引きを社内で明確に議論し、方針として定めておくことです。その上で、定めた射程内のリスクには真摯に向き合い、射程外であっても深刻な問題があれば視野に入れるといったバランス感覚も求められます。

取引先の規模・能力に応じたアプローチ

  サプライチェーン上の取引先と一口に言っても、大企業から小規模事業者まで様々です。そして取引先自身の人権課題への対応力によって、自社が取るべき関わり方も変わってきます。大きく二つのタイプに分けて、対応の考え方を整理してみます。

  1. 自社対応が可能な大企業等

  取引先が自社と同程度かそれ以上にしっかりと人権対応の枠組みを持っている企業である場合、基本的には相手方のその枠組みに任せるのが現実的です。例えば、グローバルに事業展開する大企業同士の取引であれば、お互いに人権ポリシーや監査体制が整備されています。そのようなパートナーに対しては、自社が細部まで踏み込んで監督せずとも、まずは相手企業の自主的な取り組みに委ねることになります。

  とはいえ、「任せっぱなし」で良いわけではありません。有事の際にどう対処するかを考えておくことが重要です。ここで言う「有事」とは、取引先企業で労使紛争や重大な人権侵害の疑いが浮上した場合などを指します。普段は相手企業の体制に信頼を置いていても、万一深刻な問題が発覚したときには、自社としても間接的な影響力を行使して働きかける責任があります。

  間接的な影響力の行使とは、具体的には契約条件に基づく是正要求や、経営幹部同士の対話による改善要請などの形で現れます。例えば、自社が重要顧客である場合には取引継続の条件として改善計画の提出を求める、業界団体を通じて是正を促す、あるいは専門家の支援を紹介するといった側面支援的なアプローチも考えられます。直接その企業の人権課題を解決する権限はなくとも、影響力の範囲内で状況を動かす手段を検討し実行することが求められます。

  要するに、相手が大企業であれば平時は相手の自主性を尊重しつつ、緊急時にはそれだけでない(あくまで間接的なものではあるものの)より積極的な働きかけを行って解決を図るというメリハリの効いた姿勢が必要です。信頼と監視のバランスを取りつつ、相手先の企業文化や取り組みを尊重した対応を心がけることが、良好なビジネス関係を維持しつつ人権リスクへ対処する鍵となります。

  1. 自社対応が難しい小規模事業者等

  一方、自社だけでは人権課題への十分な対応が期待できないような小規模企業がサプライチェーンに存在する場合、単に相手任せにする対応では不十分です。中小の下請企業や、家族経営的な工場、あるいは人権意識がまだ浸透していない新興国の事業者などがこれに該当します。こうした取引先に対しては、取引先である自社がより積極的に関与し、時には直接介入的な踏み込んだ対応を取ることが求められます。

  踏み込んだ対応とは、相手企業の内部に踏み込んででも人権リスクの低減に協力するようなアクションを指します。具体例としては、以下のような取り組みが考えられます。

  • 行動規範や契約条項による拘束:取引契約の中で労働環境や人権尊重に関する条項を明記し、遵守を求めます。また、自社のサプライヤー行動規範(コードオブコンダクト)を提示し、署名・同意を得て順守させることで、最低限の基準を担保します。
  • 定期的な監査や現地訪問:小規模取引先の場合、現場で何が起きているか見えにくいことがあります。自社または第三者機関による労働環境監査を定期的に実施したり、必要に応じて現地訪問を行ったりして、問題を早期に把握します。指摘事項があれば是正を促し、フォローアップまで行うことで継続的な改善を後押しします。
  • 能力構築の支援:単に問題を指摘するだけでなく、取引先企業が自力で課題に対処できるよう支援するのも有効です。具体的には、人権に関する研修機会を提供したり、安全衛生の専門家を派遣して助言したりすることが挙げられます。資金や技術が不足している場合は、必要な設備投資への協力や融資制度の紹介など、環境整備の支援も検討に値します。
  • 取引見直しも視野に入れる:深刻な人権侵害が是正されず繰り返されるような場合、最終手段として取引関係の見直し(取引停止やサプライヤー変更)も選択肢に入ります。本来は避けたい措置ですが、自社が加害に加担しないためのリスクコントロールとして、必要に応じて踏み込んだ決断を下す覚悟も求められます。

  このように、小さな取引先に対しては単なる要請にとどまらず、自社が関与して改善に導く積極姿勢が重要です。相手企業にとっては負担に感じる場合もありますが、長期的には人権尊重がその企業の持続的な成長にも資することを説明し、理解と協力を得ることが大切です。

踏み込んだ対応のさじ加減:正解はなくケースバイケース

  大企業には間接的な働きかけ、小規模企業には直接的な関与と述べましたが、実際のビジネス現場では状況が千差万別であり、杓子定規に割り切れないことも多々あります。いつ、何を、どこまで行うべきかという踏み込んだ対応のさじ加減に関して、あらかじめ明確な正解が用意されているわけではありません。

  例えば、ある取引先が中堅規模で一応の人権方針は持っているものの実践が追いついていない場合、どの程度こちらが関与すべきか判断に迷うでしょう。また、一度は信頼して任せた大企業のパートナーにおいて不祥事が起きた場合、どのタイミングでどれほど強い調整や圧力をかけるかも難しい判断です。下手をすれば関係悪化につながりかねず、かといって悠長に構えれば問題が拡大する恐れがあります。

  結局のところ、人権DDにおける対応策は都度都度、ケースに応じて考え抜くしかないのが実情です。重要なのは、自社としての原則的なスタンス(例えば「重大な人権侵害には取引停止も辞さない」や「基本は相手の自主性を尊重するが必要時は介入する」等)を定めつつも、現実には柔軟に対応する姿勢です。一社一社、現場現場で事情や制約が異なるため、マニュアルに沿った機械的な対応ではなく、リスクの深刻度や緊急度、双方の信頼関係、社会からの期待水準など複合的に考慮して判断を下す必要があります。

  社内には多様な意見が出るかもしれませんが、最終的には企業として人権を尊重するとの大方針に立ち返り、「この状況下で最も人権尊重に資する対応は何か」を問い続けることが大切です。正解が一つでない以上、迷いや試行錯誤は避けられません。しかし、そのプロセス自体が企業内の人権感覚を醸成し、将来的な判断力を高めていくことにもつながります。

おわりに:現実的な対応と継続的な改善の両立を目指して

  サプライチェーンの広範化に伴う人権DDの難しさについて、影響評価の射程や取引先の性格に応じた対応策を中心に述べてきました。広がるサプライチェーンすべてに目を行き届かせるのは容易ではありませんが、「どこまでやれば十分か」を絶えず考え、見直しながら進めていくことが求められます。

  人権DDは一度やれば終わりというものではなく、継続的なプロセスです。実践の中で課題に直面したら、その都度対応を調整し、社内の方針もアップデートしていく柔軟性が大切です。大事なのは、自社のサプライチェーンで働く人々の人権がきちんと守られているかという視点を決して見失わないことです。理想と現実のギャップに悩む場面もあるでしょうが、実務的な対応と人権尊重の理想の両立を粘り強く追求していく姿勢こそが、企業の信頼と持続的発展につながっていくはずです。